映画『アポカリプト』の感想
先日、娘と観てきました。
全く理由は不明なのですが、ここ数年というもの、南米あたりが気になって気になってしかたがないんです。
で、ギブソン監督が今度はマヤ文明だっていうし、
来月からは上野で「インカ・マヤ・アステカ展」をやるし、
あ~やっぱり来てるんだなー
と、意味は不明なままになんだか納得していました。
でも、深い意味とかは考えないんです。
そういうのは脳のどこかに放置しておくと、あるときピピピ~っと
繋がるときがおとずれるんですね~(笑)。
だから、わざとほうっておくんです。
そういうこともなんとなく”感じ取りながら”、地にしっかりと足をおろした現実の生活をやっていくというのがすごく大切なことだと思うわけです。
ギブソン監督って、ある意味、チャネラーなのではないか??
なーんて勝手に想像しているのですが・・・。
「パッション」があまりにも普通の映画と違う感じがしたのです。
あと、私のギブソン監督の印象は、とにかく「濃い」ってことですね。
料理だとしたら、かなり濃い目で油も多めの、こってり系の味付け。
さて「アポカリプト」は、なかなか面白いです。
スピリチュアルな世界を描きながらも、ハードなアクション映画にもなっているという作品なんですね。
テレンス・マリック監督の「ニュー・ワールド」も思い出しますが、こうしてみると「ニュー・ワールド」の場合は、ファンタジックなまでに美しい精神世界だったなあと思いました。
同じようなことを描きながらも、切り口はまったく異なるというわけです。
どちらのほうがいいとか悪いとかではなく、それぞれに面白いです。
それにしても、今回の表現も、そうとう痛そうなシーンが多かったです。
R-15ですが、「300」の表現よりももっとグロい、そして泥臭い感じでした。
今は「生きていること」を実感しにくくなっている時代、と言われます。
それで、自己の身体を傷つけることで「生」を実感し、それによって安心を得るという若者も増えているそうです。
それで私は、そういう方向じゃなくって、運動や労働をして、汗をたくさんかいて身体を動かして、筋肉痛を味わうのがいい方向性じゃないかなーと思っています。
ギブソン監督のアプローチは、肉体の痛みや、体温といった、体感的なところから、深い精神世界へと入り込んでいくような気がします。
特に、主役のルディ・ヤングブラッドは、実に野性味に溢れ、動物のように美しくしなやかな動きには感動しました。
今日はちょっと変わった映画感想になりましたが、
ギブソン監督の「アポカリプト」を観たら、なんとなく五感から六感(?)まで刺激された感じでした。非常に興味深い体験です。
「恐れるな」というセリフが、何度も出てくるのですが、
この「恐れ」というのは結局、どの人でも自分自身の中にあるものなんですね。
ところが、人間の恐れを、コントロールすることで社会を成り立たせていると、これは歴史的にも今、この瞬間においてもまったく変わることなくあるわけです。
マクロビオティック的に考えると、砂糖をどんどん入れて、陰性にすると支配しやすくなるのかも。
古代文明の滅びていく姿は、森林伐採などの環境破壊も含め、今ここにある現実と重なる部分が多く、
結局は「生」ということをいつでもしっかり忘れないでいること、それが希望なのだと、
あらためて教えてくれたのでした。
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