サムサッカー
いろいろと考えさせられる作品で、興味深く観賞した。
マイク・ミルズ監督は、人間の観察がとても好きな人なんだなと思い、非常に共感を持った。
・・・どうも、私はちょっとばかり勘違いしていたことに気がついた。
それは、欧米の男性って、日本人に比べ、普通に愛情表現や自己表現がとても上手なんだとばかり思ってた。
特に昔のハリウッド作品に出てくる男性は、きっとアメリカ人にとっても理想の男性像だったんでしょうね。それが誤解のモトだったのかも。
最近の映画では、自己表現の下手な男性や女性が普通に存在していて、かなり皆さん困っているんだなあ、ってことがわかった。
つまり、日本人だからとかいう、民族的問題ではなくて、世界的問題だったんですね。
男女ばかりか、親子の問題についても、同じことが言える。
そういえば、古い作品では「理由なき反抗」なんかも、親子の愛の問題を描いていましたっけ。
親は子を愛するけれども、その愛がきちんと届いているかどうかで、大問題を引き起こしたりする。
何の気なしに日常生活を送っているだけで、心が離れているとしたら?
なんだか寒くなってきますね。
必ずしも、歯がキラキラしてて常に愛を語る男性ばかりじゃないわけね(笑)。
「サムサッカー」は、愛情表現が下手だったり、自分のアイデンティティがわからなくなってる人達の話。
人間って、潜在的に不満な部分があると、日常の行動のなかに妙なかたちとなって表れてきてしまうんですね。
自己表現はイコール、自己の理解と自分以外の人たちへの理解とも言えるわけですね。
脳の構造は男女、年齢、人によって様々で、その構造の違いをある程度でも理解して交流しないと、いろいろとやっかいなことになるわけです。
ティルダさんの役の、妻はTVスターにティーンエジャーのように夢中になっている。
息子が心配するくらいに。
これってやっぱり夫に対しての不満の表れなんでしょうね。
また、一方では自分自身への不満。
でも、夫にないものを外に求めてもそれは現実逃避でしかないわけで、解決ではなく、自分や自分以外の人を理解することにもならない。
ごまかしてる。擬似恋愛だからね。
真実は、パートナーと本当に満足のいく関係になることなのであって、
それはただ単純な話、努力を怠っているだけなんですね。
ああ、こういう自己表現の下手な人たちって、アメリカにも普通にいるんだな、っということがよーくわかりました。
主人公のジャスティンを観ていると、自分の役割が見えなくて、愛がわからなくて、うろうろ、とまどっている自分にまたイライラして、って、10代のころは皆誰でもそんな風だったね。
「普通こうだよね?」
「○才になったら、こうあるべき」
みたいな、「常識」という枠のなかに人間をおしこめた結果、
その枠からちょっと外れているだけで、異常だということになる。
でも、なにが正常かなんて、そんなに単純に決められないものだと思う。
そして登場人物は、それぞれの自分を解放していくようにも見え、でも、答えも出口もないような日常を送るのだなあ。
淡々としていて、派手さはないのだけれど、
キャスティングの凄みというか、パワーには圧倒された。
まるで大作映画のような彼らの存在感の強さはスゴイ。
特に、キアヌ・リーヴスが最高。
初めに登場したとき、へえ、大スターがよくこんな脇役をやるものだなと思った。
でも文字どおり、彼はスターなんだなと実感させられた。
星のようにきらめくその存在感。
主役のルー・プッチは新人ながらとっても繊細な役を素敵に演じていて、良かった。
なかなか美形だし、今後の成長が楽しみ♪
考えすぎ、取り越し苦労、うつ状態、倦怠感、極度の不安や恐怖心。
こうした症状は、ほとんど砂糖をやめることで消える。
奇妙な歯医者のキアヌ・リーヴス。
サムサッカーを観て、なんとなく思い出した本。
昔、魂の殺人―親は子どもに何をしたか(アリス・ミラー著)
という本を読んで非常に頭がスッキリした覚えがあります。
特に子育て中の人におすすめします。もちろん、子育て中ではない人にも。