ヘアスプレー

元気って、もらうものなのだろうか?
少なくとも私は、人様から大切な元気をもらったり奪ったりはしないわ。
私にとって元気というものは、自分で大切に育てるもの、常に自分の中にあるものだからです。
そのようにあるべきと思っています。

「ヘアスプレー」はとりあえず、表面的な楽しさを作っているという点では成功しているかも、な作品でした。
しかし私は終始違和感を感じてしかたがありませんでした。

高度経済成長時代の、大量消費社会というゆがんだ世界を垣間見てしまったような感覚があり、そういう意味で不快感を感じました。
物質的に貧しかった時代から、一気に物質的豊かさの追求へとエネルギーが爆発した時代がそこにはありました。
何でも新しいものに取り換えられていき、古いものは捨てられていったのです。

ヘアスプレーをシューシュー撒き散らしているシーンが多いのですが、環境に対して世界的に神経質になりつつある今、違和感を感ぜずにはいられませんでした。
ミシェル・ファイファーの「ヘアスプレーなんて、缶入りの化学物質じゃないの!」というセリフがあるのですが、負け犬の遠吠え的に使われていて、このセリフはいったいどの人に向けているのか、またどういう解釈でいればいいんだろうか?と、とまどいました。

一番の問題点は、主人公が太っていることの必然性と説得力がなかったことですね。
あとでよく見たら、ポスターの主人公の扱いが非常に小さいことに気付きました。
つまり主役よりも、トラボルタの特殊メイクのインパクトで客を引こうということらしいですね。
それは成功したようです。
また、人種問題をとりあげている部分は非常に美しいのだけれども、あまりにも簡単に都合よく解決してしまい、軽すぎると思いました。

果たして肥満と人種問題は同一線上でしょうか?
肥満は今、社会問題となっており、そういう意味なら同次元ととらえてもいいでしょう。
高カロリー食を過剰摂取することは、健康的でもエコロジーでもないわけで、モーガン・スパーロックの体当たり人体実験作品「スーパーサイズ・ミー」によってそれは明白でした。
きれいな衣装と歌と踊りで、真実をごまかす・・・と、これはディフォルメされたシュールリアリズムなのだろうか?とも考えました。
食べたいものもガマンしてきたと歌ってたミシェル・ファイファーの努力のほうが美しくはないか。
ただし、見た目だけを優先した結果が、敗北だと言いたい面は納得できます。
けれども、勝敗を単純に表現しすぎるのは現代的ではないですね。
たしかに’60年代の作品には善悪をあからさまに明暗として表現しているものがメインでした。
しかしそれは過去のものです。

最近はファッション業界でも、激やせとか拒食症が問題になっていて、例えばとあるデザイナーはコレクションに起用するモデルには激ヤセモデルを使わない方針にしたという記事を読んだことがあります。
また「エル・ジャポン」の12月号の特集記事には『自分らしいボディを探して』というタイトルで、痩せている人も太めな人もそれぞれの個性でOKじゃないかという価値観が業界で定着しつつあるんですね。
ケイト・ディロンという太めなモデルさんは、ダイエットはしないけれどもしっかり運動はしていて、均整のとれた体型は維持しているのです。
とても健康的な美しさで、それは見た目にも実に説得力があります。
しかしながら、このヘアスプレーの中のヒロイン、ニッキーは決して共感できるキャラクターではなかったのです。どの辺に努力があったのか。
たぶん、もっと内面的な葛藤なり努力なりの表現を取り入れていたりすればあるいは納得できたのかもしれませんが、どうにも説得力に欠けるキャラクターでした。
例えばものすごくカリスマ的に可愛ければ、あるいは納得できたかもしれません。
リンク君が恋に落ちた理由についても説明不足で、説得力がなかったです。

一見、単純明快なストーリーのように仕上がっていながら、かなりあいまいにぼかしたところがあるなあと思いながら観ていました。
今は2007年だからね。
別にあいまいにしてごまかさなくてもいい時代なのに。
ジョン・ウォータズ監督のオリジナル作品のほうを観ていないのですが、どうやらかなりアクの強いカルト・ムービーのようで、きっとそちらのほうがいろんな意味で面白いのだろうし、納得できるかもしれないなと思いました。
おそらく、オリジナルのアクをすっかり抜ききって、観客に決して考えることをさせない、ハリウッド調の甘々ご都合ロマコメ仕上げにしちゃったところで、おそろしく凡庸になってしまったようです。


それでも「グリース」が大好きな私は、トラボルタが歌って踊るところが観たい!と、そこが最大のポイントでした。
しかしあのトラボルタを観てしまうと、やっぱり・・・絶対に「素敵に年を重ねた」彼の歌&ダンスが観たくなってしかたがないですね。
でも「グリース」を越えてなかったですね。
歌もこれといって印象に残っていないしなあ。


まあ、そんなことよりもなによりも、ジェームズ・マースデンのはじけたとびっきりの笑顔がもう最高でした。
私の脳内は、コーニー・コリンズとサイクロップスの顔で侵略されましたね。
サイクロップスが歌ってる~~!って思って、泣けるほど嬉しかったー!その点大満足☆
なにしろサイクロップスは不運な人なので、笑顔なんかなかったものね。
彼の踊って歌うシーンだけで、この作品は評価に値します、かなり個人的だけど。


あと、衣装がみんなすごく可愛いくて、楽しめました。
でもニッキーのファッションはいただけません。
いつもブラウスとボリュームのないスカート。
シルエットが美しく出ないと服がはえないなあ、やっぱり。
’60年代を代表するドレスのシルエットは、上半身をコンパクトにし、ウエストをきゅっとしぼって、スカートはふわっと広げてボリュームを出す。
これですよね。で、足元は華奢なパンプスね。
男の子たちの細身シルエットのスーツや、細いネクタイもかわいい。