メランコリア

試写会の日、朝起きてみると。
木目のくっきりしたアンティークテーブルの上に、ジョン・エヴァレット・ミレイの展の目録が。
表紙はオフィーリアの絵。

つまり、朝起きるなり目に飛び込んできたのがミレイのオフィーリアの絵だったのです。

その横で、娘がなにやらスケッチしていて。
特にそのオフィーリアと関係なく。

聞いたら、ただなんとなくその目録を本棚から出してみたかったというわけなのです。

で、夕方になり。
お弁当持って、「メランコリア」の試写会に出かけました。

驚いたことはいくつもあるのだけど、一番驚いて、思わず娘と顔を見合わせてしまったのは、この↑ポスターにもなっている、オフィーリアのオマージュ。
しかも、劇中に先述のミレイのオフィーリアの絵も出てくるのです。
朝からの一件は前フリだったとは。。

あと、ブリューゲルの“雪中の狩人”も登場します。
この絵画はタルコフスキー監督の有名なSF作品「惑星ソラリス」にも登場するようです。
(私は未見です)
そういえば、行きそびれてしまった「ブリューゲルの動く絵」に出演しているシャーロット・ランプリングはこの「メランコリア」にも出ていますね。ものすごく変人な母親役。
妙に繋がっていますね。

そしてこの作品で最も印象的なのは音楽です。

ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のテーマが繰り返し流れます。
トリスタンの愛の死・・・

それにしてもワーグナーの曲は果てしなく美しい。この映画のファンタジックで美しい映像に、とてもよく合っていました。
しみじみと・・・
音楽に聴き入ってしまいました。
ますますワーグナーって凄いなと思った次第です。
トリイゾはワーグナー作品の中ではまだまだというか全然まるで消化しきれていない作品なので、これからなんとかしないとな、、と思っています。


他の、特にハリウッド的なSF作品へのアンチテーゼかと思いました。
思い出したくもないほど最悪な映画「アルマゲドン」を蹴散らしてくれたような気がして、勝手に爽快な気分になっていました。

「メランコリア」はSF作品なのに、妙に現実的なところがある。決して夢を語らないというか。
「生命体は地球にしかいない」
って断言するシーンがあったり。
そういうところがやけにスッキリしてていいなと思いました。


映像美は本当に素晴らしい。
CGのレベルがどうのこうのというよりも
映像センス、美的センスが素晴らしいと思いました。

予告編で流れる映像は、そのほとんどが冒頭に出てくるので、
ああ~もしかするとこのままの状態で2時間以上過ごすのかな・・・
なんていう覚悟めいたものを心に抱き始めたころ。

タイトルが出た。

鉛筆の。

鉛筆かあ・・・。

いいなあ、あのアナログタッチ。
なんて思いつつぼんやりと画面に見とれている私。
冒頭から、ついて行けてないかもという焦りを感じつつ。
(なにしろトリアー監督だから。何が起こるかって構えてしまう)

とりあえず物語らしきものが始まり、ちょっと安心。

あ、ここから始まるのか。
まるでオペラの序曲の感覚の冒頭シーンでした。
ワーグナーだしね。

そして不安と嫌悪感に包まれた結婚式に突入です。


他にはない表現力ですね。

映像がとても感覚的で面白く美しくて、刺激になりました。


ステラン・スカルスガルドと、アレキサンダー・スカルスガルドは親子(役は他人ですが)でご登場!2人ともタキシードで素敵でした!


こちらはキーファー・サザーランド。
大富豪で、知性のある常識的な考え方のできる人物として登場しますが・・・さてどうなるかが見どころ。


花嫁(キルスティン・ダンスト)の父を演じた、ジョン・ハート。
踊ってます~
花嫁の両親がかなりの変人というか問題アリな人達で、そのためなのか、花嫁は心を病んでいる。
幸せがわからない、幸せになりたいけど、どうしてもそこへ行けない。足が動かない。もどかしい・・・そんな感じ。
姉(シャーロット・ゲンズブール)はわりと普通に結婚して子供もいて、自然体で生活しているように見える。
でも、終盤に近付くにつれ、登場人物達の、普段は見えていない側面が表面化してきて・・・。
というところは他の作品でもあるパターンですが、やはり演出がひとひねり効いてて、なるほどなあと思わせます。

最後が近づくにつれ、ものすごくハラハラさせられました。
そしてそのハラハラの原因のほとんどは、シャルロット・ゲンズブールの秀逸な演技のせいかなと思いました。

日常の中ではなかなか感じることのできない「無」の境地。
また、遠くにあった惑星が近付くとき・・・、地球と自分自身が宇宙の中に存在することの実感、そして決して受け入れがたいことを受け入れるということ。
観終わってから色々な考えが頭の中をめぐるのでした。