フランドル

このところ、ちょっと睡眠不足気味。

夜に仕事が押してきてしまうのが原因。
もっと効率よくしなくてはいけないなーと思う。

とはいえ、映画もガンガン観ますね。
これが実に、いい~感じでタイミングよく、そのときの必要な答えとかヒントをくれるんですから、まったく映画ってやつは素晴しいです。
おそらくは無意識に選んでいるようで、ちゃんと潜在意識が選んでいてくれるんですね。

しかし、とっくに観た映画の感想も、適当に書くのが嫌なので、観終わってからああだこうだといろいろと考えているうちにどんどん日が経って、そしてさらに次の作品を観に行くから、頭の中でいくつもの映画がたまっていき、洗濯機のようにぐるぐるとまわっている状態。


カンヌ国際映画祭審査員グランプリ受賞作品です。

その日は、今日は3作観よう!と、張り切って出かけたのですが、最初に観た「フランドル」でドーンと疲れ果ててしまい、そのまま帰ってしまったのでした。

かなり疲れることは避けられない作品。
でも、かなり深い、深い作品で、嫌でも考えさせられるのです。
そういう意味で、非常に優れた作品だと思います。

地球のどこかで今、起こっているかもしれない、そんな感じの戦争のシーンの描き方は、あまりにも残酷でした。
寒々としているけれども素晴しく美しいフランドルの田園風景は、登場人物の心を映すように冷たく、淡々としていました。
ヒロインが精神を病んでいく様子と、遠い国で起こっている残酷な戦争とが、実は離れていながらつながっているのだという表現、非常に「バベル」に似ていると思いました。
たぶんそれは表現のアイディアのレベルではなく、当然の事実なのだと思います。

すべてはつながっていく。
だからこそ、負のつながりでなく、勇気を持って、幸福をつなげていきたい。

監督曰く
「愛にたどりつくまで、1時間半を費やす」
との言葉どおり、淡々と、残酷な物語につくづく絶望させられ、
しかし、最後にふっとわずかな希望を与える、というやり方は、まるでイニャリトウ監督の「バベル」と同じでした。
全体から考えれば、こうした観客に考えさせる作品というのは少ないのでしょうが、
どういうわけか、このところ私は、この手の思考型作品を何本も観ることになりました。
なるべく次々、感想を書いていきたいです。

人間の「業」を感じさせる作品でした。
例えば最近DVDが届いたところでしたが「麦の穂をゆらす風」なんかはとても勇気づけられる気がして、ケン・ローチ監督の優しさを感じました。
しかし「フランドル」は甘くない。
情け容赦なく、残酷な日常をつきつけられるのです。
「バベル」よりももっと強烈でしたね。これ観たら「バベル」は優しい、と思いました。

日常化した戦争の恐ろしさ。
同時に、淡々とした平和の中の恐ろしさと。
人間の内面が崩壊していく様子。
未来の希望に溢れているはずの、若者たちの心は空虚だった。
欲望のままに生き、無目的で愛を感じることのない”不感症”な日々を、冷静な視点で淡々と綴っていくのです。
映画に娯楽性を求める人には不向きな作品です。
疲れた心には追い討ちをかけるかもしれません。
でも、きっとこういうものこそ私たちには必要なのだと思います。

しかし結局人間は、人の温かさを必要とし、抱き合い、許しあい、相手をとことん受け入れ、愛し合うこと、それが希望なんだなと思わされるのでした。

なんだか哲学的だなーと思っていたら、ブリュノ・デュモン監督って、哲学の先生だったんですね~。


俳優さんたちは、ほとんど役者経験のない、素人を使ったそうです。
監督は演技よりもその人間存在に意味を感じているようです。
確かに、演技はテクニックだけど、その人物の存在感は出そうと思って出すものではないところに魅力があるものですね。
デュモン監督の過去作品を観たくなったし、次回作にも期待です。

不安な、辛いニュースがいつもいつも流れていて、私たちもいやおうなく日常的な絶望へと追い詰められていく。
そんな中で確固たるもの、普遍的なもの、それは愛しかないと、確認するのでした。

観終わって、ズッシリとした重さを感じつつ劇場の外へ出たら、パア~っと明るい日差しと、あまりにもノー天気な渋谷の街の雰囲気に、ひどく違和感を感じてしまいました。
どのみち109やセンター街あたりはもともと違和感ありすぎなのですが(笑)。
それで、なるべく周囲を見ないようにして、足早に駅まで歩いたのでした。

哲学, 戦争

Posted by miniaten