ゾディアック
久々にはまってしまいました・・・。
現在、リピート中。5回観ましたが、また行く予定です。
娯楽性のない、しかし知的好奇心をくすぐる、こういう考えさせられるタイプの作品にはものすごく弱いです。
サスペンスとか、謎解きにはまったわけではなくて、この作品の性質というか、趣味の良さ、非常に高品質なところが、私の好きなタイプだったわけなのです。
ちなみに、わりと最近の作品では、オリバー・ストーン監督の「アレキサンダー」とピーター・ウィアー監督の「マスター&コマンダー」がそうです<あくまでも個人的に
なにしろ情報量が多いので、ものすごく頭を使います。
私なんかの頭じゃ1回目はとりあえず最後までついていった、という程度で、人物の名前や地名など、全てを把握するまでには至りませんでした。
大抵の観客はここで「つまらない」という烙印を押してしまい、それ以上入ろうとはしないんですね。
「アレキサンダー」にしても、1回目はさっぱりピンとこなかったのに、脳の片隅がもやもやしていて、そうしたら偶然見つけた立花隆氏の解説を読んで、それがきっかけでズブズブと「アレキサンダー」の魅力に取りつかれていったのでした。
しかも、始めはコリン・ファレルって??って何とも思っていなかったというのに、「アレキサンダー」を何度も観るうちに、コリンの大ファンになっていたというおまけつきでした。
あのときの感覚がまた蘇ってしまったのね~~!と、そうです、私は大喜びなのです。
劇場で観て、帰宅してしばらくたつと「ええと、あそこのシーンは・・」などと気になりだすともう、いてもたってもいられなくてまた、劇場へ足を運ぶ。
そしてまたこの手の作品は監督のこだわりかたが尋常じゃなく、細部まで非常に丁寧にこだわって作りこんでいるので、観ればみるほどに味が出るというか、
観るほどに深みにはまって抜けられなくなってしまう。
でも、衝撃的なドンデン返しもオチもなく、こういうタイプは一般ウケしないんですよね。
そもそも、興行成績なんか考えないで作っていると思われるので、ウケなくて当然なのですが。
それに前述のとおり情報量がものすごく多いので、1回観ただけだと、かなり消化不良になってしまう。
しかも長いので、ちょっと疲れてくるともう、大事な一瞬を見逃したり、セリフを聞き逃したりとなり、謎が頭の中に残ってしまうハメになる。
でもなぜだか脳の隅にひっかかって、しばらくたつといろんなところが気になって気になって、また観たくなってきてしまう。
5回観たところでハッキリ言えますが、無駄なシーンがまったくないんです。
ひとつのシーン、ひとつのセリフにも、いらないものがないんですね。
これでも監督は削りに削って、研ぎ澄ましていったんだろうと思いました。
監督の音声解説を聴きながらじーっくりと観てみたいです。
’70年代のハードボイルド映画の世界を再現しているかのようで、個人的にはかなりのツボにきてしまいました。それはもう、大喜びってやつです。
「ダーティハリー」「ブリット」「フィレンチコネクション」「大統領の陰謀」・・・。
といっても、今回この作品ではアクションはありませんけれども。
で、CG使いまくりの最近の映画とは真っ向から違う作りになっています。
もちろん、CG使いまくりも嫌いじゃないし、むしろ好きですが、この「ゾディアック」みたいな、素晴しいアナログ感の漂う作品を見せられると、かえって衝撃ですね。
とはいえ、カメラはHDカメラで撮影されております。
使う道具はデジタルでも、きっちりと人間味のある体温を感じる映像でした。
映像全体の雰囲気や質感にやたらリアルな感覚で迫ってくる感じが、「マイアミ・バイス」の、マイケル・マン監督の上品で高品質な映像感覚にも似たところがあって、かなり好みです。
ファッションがまたいいんですよね~~。
ダーティハリー風のツイードのジャケットや、タックなしのズボン、大きな衿のシャツはタイトなライン、太目で派手な柄のネクタイ、大きめの眼鏡フレーム。
髪型やヘアのデザイン、メイクなども良かったです。
似たような感じの作品で、最近観た「ハリウッドランド」でも、レトロな風俗を再現していましたが、申し訳ないけど、もう「ゾディアック」を観たあとでは薄っぺらに見えてしまい、うわ、「ハリウッドランド」を先に観ればよかったなあと後悔しました。
せっかく、エイドリアン・ブロディやベン・アフレックの演技を楽しみにしていたのですが、ちょっと残念でした。
それに比べて「ゾディアック」の場合は、服とか髪型の微妙な決めかげんというか、色彩や布の質感などのこだわりも、凄くセンスが良かったですね。
ただ時間をさかのぼっているのと、それに個性という隠し味をつけるのとでは、見え方のレベルが全然違うんだなあと思いました。
俳優陣がまたすごくいい!「ER」のグリーン先生は和食にあこがれる落ち着いたアームストロング刑事。
マーク・ラファロ演じる誇り高きトースキー刑事は、実際に会ってみると同じような話し方をする人だったそうです。
ブライアン・コックス演じる風格のあるメルビン・ベライもとっても雰囲気があって良かった。
アダム・ゴールドバーグもチラッと出てきてくれて、嬉しかった。
グレイスミスの奥さん役や、トースキー刑事の奥さんもいい味出してて、印象に残りました。
リー容疑者の役の人、どっかで観たなーと思ったら「モーツアルトとクジラ」で、ジョシュ君のお友達さんでした。
あのときは可愛い(?)感じでしたけど、今回は怖かった~。
それで、リー容疑者のあの怖さ、不気味さを「演技で」表現してるんだなー!と気付いて、あらためて凄いなあと思いました。
静かな怖さ、ですね。
私は、なにしろジェイクとロバートに期待してたので、前半のジェイクの大人しい演技に「あれ?今回のジェイクはこんなもんなのかしら?」と思いきや、後半の狂っていくあたりの演技には、「おお、来た来た~!それでこそジェイクよ~」と、期待どおりのジェイクの演技に引き込まれてしまいました。
最後のほうなんか、緊迫しましたねー。
怖かったな~。
ロバートは素晴しく存在感がありました。
ファッションが少しずつ変わっていくのに注目です。
最初、カラーシャツにベストなんていうダンディーなオシャレ紳士だったのに、最後はあんなになって・・・(泣)。
その変わり方の演技はやっぱり超越してる。上手すぎ!凄いなーと思いました。
「ダーティハリー」のプレミアの様子が出てきて、妙に感激しました。
イーストウッドの顔は出てこないんですけどね。
実際の事件をもとにしてたのはなんとなく知ってましたが、詳しくわかってよかったです。
家族とか自分の生活のほうが大事だ、って去っていった刑事も、なんともいえないものがありましたね・・
現実には、法を無視してまで犯人を追い詰めて、マグナム44で決着をつけるといったダーティハリーはいないわけで、当時はあの映画で、アメリカの人たちはストレス解消してたなんてこともあったのでしょうか。
ケータイもFAXもなく、もちろんEメールもなく。
なんだか、イライラするんですよね。
現代人の悲しさですね。
ええー、そんなとこから電話するの!?とか思ったり。
電話待つからって、いちいち家に帰らないといけなかったり。
今の生活って便利なことが、あたりまえになってしまったんだなあと再認識しましたね。
撮り方とか、セリフとか、お話の構造とか、音楽や効果音などなど、どれもこれもかなりの高品質に作られてるんだと、何度も観るうちに、どんどんこの映画の世界にはまりこんでしまいました。細部を知れば知るほど楽しいっていうタイプ。
ほんと、弱いですよ、こういうの・・・
効果音のさりげない巧さにも感心していました。
他の映画ではそんなに気にならなかった効果音。
この「ゾディアック」では大いに気になりました。
すごくいいです。
何度も観るうちに「おお、ここでこんな音が入ってる!」なんて気がついたり。
また格別なのがセットなどのデザイン。
凄くセンス良いです。
内装、家具、机の上の小道具、衣装、などなど、細部までなんと細かく気を配っていることか!
「大統領の陰謀」も、セットのリアル感を出すのにかなりこだわったそうなのですが、すごく近い感覚があります。
ほんとうにあの時代に入ってしまったような感覚になるんですよね。
ふっと、ハリー・キャラハンや、ダスティン・ホフマンが画面に入ってくるんじゃないか、実際そこに彼らがいても、何の違和感もないような。
編集部の円柱はビビッドな黄色をしていて(あの柱のカレンダーには注目よ)、ワンフロアが天井の高いぶち抜きになっているというあたりも、当時流行の建築やインテリアをセンス良く再現していました。
私は4回目にして、編集部の丸い柱が黄色から青に変わっているのに気がついたんです(遅)。
そして、青い柱とタイプライターの青色がコーディネートされているんですね~。
ああいったビビッドな色使いなんかも、いかにも’70年代っていう雰囲気。
「大統領の陰謀」でも、椅子と引き出しの色をコーディネートしていましたね。
また、ダスティン・ホフマンのキャラのイメージが、ポール(ロバート・ダウニーJr.)にそっくりだと思いました。
とくに髪型の雰囲気とか。
ひとことのセリフ、とか、俳優さんの無言の表情とか、一瞬映るもの、とかでいろんなことを説明をしようとしているその演出に、いちいち感心しました。
あとやっぱり、カメラワークにはやられっぱなし。
HDカメラのリアル感も手伝って、その構図のセンスときたら、見事としか言いようがないです。
ちょっとだけ書いちゃうと、まず冒頭の殺害シーンの表現、構図に、ハードボイルドの頂点を観た思いがして、そこから音楽が変わって、サンフランシスコの街に海からガーっと入っていくあたりはたまらないですね~~。
車がゆっくり走るところを空撮するシーンも、「大統領の陰謀」にも出てきますが、とてもよく似てるんですね。
冒頭の殺害シーンや、また、後半にはいくつかの緊張感のあるシーンがあるのですが、その緊張感が、5回目で一番強く感じることができました。
つまり、全体をきちんと把握できて初めて、本当の緊張感、恐怖というものが理解できたというわけです。
意味がわかってこその怖さ、ということなのです。
同時に、刑事たちや新聞社の記者たちの、無念さというものも痛いほど理解できるようになってくるんですね。
なぜ、その表情なのか、なぜ、そのセリフなのか。
すべてに理由があり、また背景があるわけなのです。
そのひとつひとつに込められたものが、この作品の深さともなっています。
こういう犯罪ものでいつも気になるのが法律ですね。
人々を守る目的の法律が、捜査の上で邪魔になったりとか。
トースキー刑事、グレイスミスになにげなく情報を伝えるところが、もう何ともいえないんです。
ほんとにトースキー刑事は素敵な魅力のキャラクターでした。
彼の食べ物に関するシーンはどれもユーモアを含んでいて楽しかった。
ボウタイにステンカラーのコート、とか、ファッションも良かったし、それに夜、彼の自宅でかけているジャズなんかすっごくクールでセンス良かったですね~。
観客はいつでも何かをハッキリさせて欲しいと思うのでしょうが、結局、最後にハッキリとリーが犯人だみたいには言わないのは、捜査上で決定していないからですね。
監督の考えみたいなものは入ってこないわけです。
劇中、リー容疑者の弟夫妻(もちろん俳優が演じている)が出てきますが、彼らはとてもインテリ風、まじめで善良な人たちのようで、そういう人たちへの配慮みたいなのもあるのかなあと思ったりしました。
もうひとりの被害者、ハートネルさんはカメオ出演されているんですって。
確認したいなあ。
そしてエンドロールの短さが、この映画のアナログ度を物語っていました。
いいなあ、短いエンドロール。
このハイテク時代に、ほんと、いいもの観たなあ~っていう思いです。
フィンチャー監督はこの作品について「人間洞察に関する映画だ」と語っており、なるほどと思いました。
犯人像についてあれこれ考えたり、また、登場人物たちのそれぞれの人物描写も大変面白かったのです。
いずれにしても「負の表現」というものは、まったくもって悪しきものであると、つくづく思いましたね。
たぶんまた行ってしまうと思うのでした。
私があんまり騒いでいるので、娘も行きたいとか言い出しました(笑)。
とりあえず、自分の中で前半期のNo.1ですわ。
いやもう、今年のNo.1でもいいかな・・・
私は傾向として、監督で映画を選ぶことが多いです。
どうしても、作り手の視点で観てしまうんですね。
監督の思いとか、手法とか、考え方とか、美意識とか、個性とか、そういうことや監督自身のパーソナルなことなども気になります。
ところで今日の「ゾディアック」は、俳優さんたちのネクタイの柄がとっても気になりました。
おしゃれなんですよね~。
行動的なトースキー刑事は、ボウタイの他に、ストライプのネクタイもしてました。
ちょっと大人の男の色気も演出している、色使いの華やかなネクタイが素敵です。
ジャケットも、チェックなどの柄物を着こなしたりしていますね。
無地っぽくても、近くで見ると織り柄が入っていたりとか。
それに対して相棒のアームストロング刑事は、ぐっと控えめ。
無地のグレーのスーツに、シャツは白、無地のネクタイとかそんな感じで。
性格的にも感情をあまり外に出さないタイプ。
ネクタイって、その人物の性格なども表している気がして、つい観察してしまいますね。
サンフランシスコ警察の人たちは、都会的な雰囲気でコーディネート。
バレーホ市警のマラナックス巡査部長は、ちょっと郊外の雰囲気なので馬柄のネクタイ(これもなかなか素敵)、とか。
ロバート・ダウニーJr.ポール・エイブリーのファッションが一番好き。
首に小さめに巻いたスカーフの柄と、シャツの色の組み合わせとか、そんなことをチェックしてるだけでもう楽しくってたまりませんね。
それにしても「ジリリーン」というコール音、重たそうな受話器、ジー・・・カタカタカタ・・・ジー・・・カタカタカタ・・・というアナログ電話には憧れますね。
かたちも色も素敵。
今私は、使うたびに憂鬱でたまらなくなる、非常~~に格好悪いFAX電話を使用していますけれども、どうして現代の国産電話のデザインて魅力的でないのでしょうか。