敬愛なるベートーヴェン
今日の映画は”おすすめ映画”のカテゴリではあるけれども、”おすすめ”したくないです。
私は、小学生の頃にベートーヴェンの伝記を読んで、彼の天才性と、そして苦悩と、その苦悩から生み出される美しい芸術に本気で感動して、だから大好きなんです。
はっきり申しまして、この作品の彼は、ベートーヴェンじゃない、です。
まず、英語しゃべってんのが気に入らないし(笑)。
やっぱり、ベートーヴェンはドイツ語で話してほしいです(泣)。
印象の良くなかったものに対して、あまりくどくど書くのも、エネルギーの無駄なので、今日はさらっと終わらせることにします。
たぶんこの作品は、脚本と監督が力量不足だったんだと思います。
ちっとも心に響かないセリフ。
インパクトのないシーンの連続。
ぼやけた登場人物の輪郭。
そしてなによりも、芸術家としてのベートーヴェンの描き方にまったく共感する部分を見つけることができない・・・。
ああ、悲しい・・・。
私はベートーヴェンに会ったことがあるわけないんですけども、なぜか
「ベートーヴェンはこんなこと言わない」とか
「そんなしぐさはしない」とか
なんだかわからないけど、この映画の中の彼を観ながら、そんなことの連続でした。
エド・ハリスの指揮の様子は、音楽家っぽくなくって、いくら人間的な側面を浮き彫りにしたかったっていったって、説得力がないと感動的にはなれないですよ。
ダイアン・クルーガーの演じるアンナという存在は、不要だと思えてならなかったのです。
架空の人物としての描き方なら、「硫黄島からの手紙」の西郷のように、「きっとこんな人いたんだなあ」と思わせるリアリティがないと邪魔なだけなんだなあ。
ひとつだけ良かったのは、第九を大きな音響で聴けた、ってことと、当時の演奏会の雰囲気が味わえたことぐらいかな。
しかしカメラワーク、悪いです。コンサート映像の研究、怠ったのだろうか?
クラシックファンのツボからはずれすぎてて、せっかくのセッティングも衣装も生きてこないし。
最も嫌だったのはやはり、アンナが一緒に指揮をするっていう、この話では一番核になってるシーン。
でも、納得いかないです。
ベートーヴェンの芸術性を理解していない人が作ったってことです。
帰りながら、娘がさみしそう~~にポツリと言いました。
「第九が聴けたから、いいや・・」
ああ、悲しい。
で、今日になって私がまだブツブツと
「あれはベートーヴェンじゃない」
とか言ってたら娘が、
「もう忘れよう」
だって・・・。そうだねそうだね忘れよう・・・
この↓ゲーリー・オールドマンのベートーヴェンのほうが雰囲気があってよかったです。
ピアノの弾きかたも素敵でしたし
彼のほうが役者が上かも。
ただ、この作品は全体的に照明が明るすぎて気になった。
とくに、第九演奏会のときは迫力不足だったかな。
演奏会だけはエド・ハリス版のほうが雰囲気はあったと思います。
ハリス氏の指揮は、ひどかったけど。彼は、音楽を愛していないんだなと思いました。
それは監督も同じかもしれない。
この作品、綺麗によくできているとは思います。
でも、私は、入り込んで観ることはできないのですね。
と、言いながらまたDVD出してきて観ようかな・・
お口直しに(笑)。。。
しかし・・・
なんかさみしいなあ。
ベートーヴェンは誰にも描けないのだろうか。
さてさて、今日はカラヤンの第九を聴いていました。
カラヤンの指揮は、華がありますね♪
あ~~ベルリン・フィルの音だ~~~
年末は、第九に限らず、ベートーヴェン聴きまくりです!